薬物依存症ってどんな病気?

かつて「薬物中毒」という用語が薬物依存症と同義の言葉として用いられた時代がありましたが、いまは用いられなくなっています。その理由は、正しくないからです。「中毒」というのは、文字通り「毒(=薬物)が体の中にある状態」を指していますが、この状態は「解毒(毒を体外に出す)」すれば、薬物による心身に対する弊害は消失し、治療はおしまいとなるはずです。ところが、薬物依存症はそうはいきません。たとえば、薬物をやめていても、かつて薬物よく使用していた場所を訪れたり、一緒に薬物仲間と出会ったり、あるいは覚せい剤の粉末を溶かすために携行していた500mlのミネラルウォーターのペットボトルを目にしただけで、薬物の欲求が蘇ることがあります。たとえ欲求を自覚しなくとも、かつて薬物を使ったときに体験した様々な心身の変化(心拍数の上昇、発汗、落ち着きを失う)が出現します。あるいは、暇な時間に退屈な気分になったときに、ふと「薬物を使いたいなぁ」と考えてしまったり、「しかし、我慢しなきゃ」などと葛藤したりします。つまり、薬物依存症とは、「薬物が体内に存在すること」が問題ではなく、薬物を繰り返し使ったことで、人の心身に何らかの変化が生じた状態を意味しています。

 

覚せい剤や大麻、シンナー、危険ドラッグなどの依存性薬物は、いずれも脳内報酬系という快感中枢を直接刺激する性質を持っています。この中枢は、たとえば一生懸命勉強をしてよい成績をとったり、努力が認められて褒められたりした際に興奮し、私たちをよい気分にさせてくれる働きがあり、そのおかげで私たちは苦しいことやつらいことがあっても、その向こう側の「よい気分」を期待して頑張れるわけです。ところが、依存性薬物は努力のプロセスを一気に飛び越えて直接その中枢を刺激し、多幸感を体験させたり、苦痛をやわらげたりします。その結果、勉強を褒められた子どもがせっせと勉強に打ち込むようになるのと同じように、薬物でそのような体験をした人は再びその体験を求めて薬物使用を繰り返すようになるのです。

 

こうなると、薬物を使っていないときにも、次に薬物を使う機会が待ち遠しいと感じるようになるのは時間の問題です。気づくと、自分のなかでの価値観の序列が変化してしまっています。たとえば、これまで自分にとって大切だったもの――家族や恋人、友人、仕事、財産、健康、そして将来の夢――よりも上位に薬物が位置づけられ、薬物を使い続けるライフスタイルに合った恋人や友人、仕事を選択するようになります。

 

昔から知っている人からすると、薬物中心の生活を送るようになった本人のことを、「性格が変わった」「別人になった」と感じることでしょう。何よりも大きな変化は、嘘つきになっているというでしょう。薬物を使い続けるには家族や職場にバレないようにする必要があるので、薬物依存症を抱える人は本当によく嘘をつきます。しかし大抵の場合、一番騙している相手は他の誰よりも自分なのです。「これが最後の一発」と自分にいいきかせながら薬物をいつまでも使い続ける……これが自分に対する嘘です。この段階では、薬物を使用することの快感はほとんどなく、むしろ使わない状態のときに自分を襲う苦痛や、目を背けていた現実と向き合う不安の方が強くなっています。

 

要するに薬物依存症とは、「心がいつも薬物にとらわれている」状態、いいかえれば、脳が依存性薬物に「ハイジャック」され、自分の意志や行動が薬物にコントロールされている状態を意味します。